鏡神社と真照寺(額田王の里)昨日は滋賀県の万葉の森「舟岡山」と阿賀神社へ行ったお話しでした。今日はその続きです。 舟岡山の広場には壁画がありました。 多分、額田王とその恋人の大海人皇子 そして、鏡王と中大兄皇子ではないでしょうか。 後に、額田王は中大兄皇子の恋人に、そして鏡王は藤原鎌足に嫁ぎます。 この絵の頃が一番幸せだったのかもしれないななんて考えながら見ていました。 万葉の森に名残を残しながら次は鏡神社に向かいます。 その途中、ちょっと真照寺に立ち寄りました。 日本書紀には鏡の娘、額田王と記されていることから、社伝をみると鏡王は鏡神社の神官で、その娘、鏡王女や額田王は、この神官家で育てられました。 額田王はこの地の出身です。 父の鏡王は、後の壬申の乱で戦死し、この真照寺に葬られています。 真照寺から100メートルくらい歩くと鏡神社にたどり着きます。 鏡神社は代11代垂仁天皇の時に新羅の皇子アマノヒコボの従人がこの地に住んで、陶芸、金工を業とし、祖神として彼を祀ったことに始まっています。 後に近江源氏佐々木氏の一族が崇敬して護持したとされています。 義経は鞍馬山から奥州に逃れる時この地に立ち寄り、元服をしたと言われています。 鏡神社の参道には義経が参拝したときに松の枝に烏帽子をかけたとされる「烏帽子かけの松」があります。 やはり、源氏にゆかりのこのちで元服をしたかったのでしょうね。 近くには、義経元服の池や、義経宿泊の館(白木屋)跡や義経元服の盥などがありました。 額田王を訪ねて義経に出会ってしまい、嬉しい出会いに得をした気分になりました。 この後、鏡の里と御上神社に行ったのですが、そのことは又、明日書かせていただきます。 ジャンル別一覧
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